2008年05月13日

コメディPODCASTしか作る気がしない

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画像は、iTunes Storeにおける自分の番組のページ。
ジャンルは全部、いわゆる「コメディ」。お笑いってことだ。

インディーズでPODCASTやってる人の中には、コメディの他にも、さまざまなジャンルを謳ってる人がいる。
iTunes StoreのPODCAST欄にも、色んなジャンルが用意されてる。

でも自分は、コメディってジャンルにこだわって配信してる。
なんでか?っていうと、理由は3つぐらいある。

一つは、俺が聞く(見る)なら、コメディしかありえないってこと。
これはプロの番組も含めて、だ。

俺は別にiPodでヨガのやり方を覚えるほどスイーツ(笑)ではないし、経済ニュースを常にチェックしたいほど毎朝ネクタイをきつく締めて出勤してるわけでもない。
かといって、一般人や一般動物ののんびりした日常や趣味を観察するほどヒマではないし、5秒で極上のエロ動画にアクセスできるこの時代に、わざわざ耳からエロい女性の声を聞こうとも思わない。ジジィじゃあるまいし。

ってかぶっちゃけ、別にポッドキャスト・コンテンツなんて興味ない。

それでも唯一、聞いてやるとしたら、見てやるとしたら、まぁお笑いぐらいじゃねーの?って感じ。だから。

次に挙げられる理由は、コメディは、評価されたとき、作ってる人自身の評価に直結するから。

他のジャンルだと、そのコンテンツが評価されたとき、一番「偉い!すごい!」って思われるのは、案外コンテンツ作成者自身ではなく、扱ってる内容そのものだったりする。
それこそ、「ヨガが偉い!」だったり、「英語が偉い!」だったり、「女エロい!」だったり。
なんか「便利!」ってニュアンスが強い。

例えば女性が、帰りが遅くなって家まで送ってもらいたいときに呼び出す、クルマ持ちの友達の男性。
この場合偉いのは「自動車」そのものでしょ。その男性自身の評価なんて、まぁ二の次でしょう。
要するに、その男でなくても、クルマさえあればいいわけだから。それと一緒。

俺はそんな便利屋を気取ってまで何かを表現したいなんてこれっぽっちも思わない。
大体そんなの、…モテない。笑

最後の理由、それは、コメディは「ゼロ」から作り上げるコンテンツだから。

予備知識いっさい無しで、マイクと喋りだけで超シンプルに作れるのがコメディだと思う。
どんな人間でも、笑いをとることは出来る。ネタが一切喋れなくても、とりあえずすっ転んでおけば笑いがとれたりする。

そして、笑ってもらえれば、あるいは笑っていれば、深刻な場面でも、とりあえずは気分転換できるっていう効果もある。
「コメディ」なんてくくりは、実はナンセンスだと思ってる。
どんなシーンでも、ジャンルでも、笑いってのは常にスパイスや緩和剤として使われてる場合がいっぱいあると思うから。

いわば、ゼロから作り上げるオールジャンル。
そこに醍醐味を感じてるから、自分はコメディしかつくらない。
posted by 南部イチヒコ at 10:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月03日

ノイズの少ない録音 - M-AUDIO「Fast Track Ultra」

僕がポッドキャストの録音をはじめた頃、
一番悩まされたのが、声と同時に録音されてしまう、
「サー」というホワイトノイズだった。

まるで古いカセットテープを再生しているかのようなこのノイズに、
当時は随分苦労した覚えがある。

このホワイトノイズが多いか少ないか、あるいは全く無いかで、
ポッドキャスト番組としての印象は大きく左右される。
簡単に言うと、
ノイズのある番組は素人臭く、ノイズのない番組はプロっぽい。

内容如何に関わらず、ある程度のハッタリを効かすためにも、
ホワイトノイズの無い録音を心がけることは重要だといえるだろう。

そのためにはいくつもの方法があるが、
その一つに、しっかりしたマイクとオーディオインターフェイスを使うという手段がある。

オーディオインターフェイスといっても種類は様々だが、
僕が今注目しているのは、M-AUDIOのFast Track Ultraだ。

Fast Track Ultra

コンパクトなこのサイズの中では珍しく、高性能なマイクプリアンプを備えたキャノン入力端子が4系統装備されている。
手軽に4人分のMCの音声を同時録音できるため、多人数での番組などでは非常に便利だといえる。

また、ディレイやリバーブなどの基本的なエフェクトや、ヘッドホン端子も2系統装備されているので、様々な番組形態にも対応できる。

ホワイトノイズは、録ってから除去処理をするよりも、
予めノイズの少ない環境で録音するほうが断然有利だ。

その点でも、このオーディオインターフェイスは文句無い出来だといえるだろう。
posted by 南部イチヒコ at 10:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | podcast技術・音質向上メモ

2008年04月24日

ポッドキャストのタブーは放送禁止用語だけではない

既存メディアのかかえる「絶対に放送できない」タブー事項は、何も下品な表現や差別的表現ばかりではない。

広告代理店やスポンサーなど、放送側にとって何らかの経済的・権力的利益をもたらす企業や個人に対しての批判なども、タブーとなる。

TVの野球中継が、視聴者の趣向を完全に無視して、「スポンサーのご好意により」延長されるのも、「CMの間にトイレに行っておいてください」という、視聴者にとってはなんでもない日常の行為をなぞっただけの発言をしただけで司会者が番組を降板させられるのも、すべてこの後者のタブーに準ずる仕組みだといえる。

さて、一方でポッドキャストの世界はどうだろうか?

インディーズの番組にはスポンサーこそ存在しないが、それでも、あなたがポッドキャストの世界を知っていくうちに、「本当は言いたいが、なんとなく言えなくなっている事」が存在してきているのではないだろうか?

もしもあなたが配信者で、そして、タブーなき自由な放送を心がけているのなら。

日頃より番組を聞いてくれている、受信者の方々。
場所を借りているサーバーを所有する企業。
各種ポッドキャスト・ポータルサイト。
互いを「仲間」として認識している、同配信者達。

それらに、「【意識して】メスを入れない」ということは、あなたが自分自身で勝手に構成している、前述の既存メディアのそれとそっくりな、「ポッドキャストのタブー」にほかならない。

そもそもサイバースペースは、既存メディアよりも、いくらか自由な表現ができる世界だ。

既存メディアにはない自由な表現をポッドキャスト上で謳歌するということは、それらの「ポッドキャストのタブー」を抹殺することだといえるだろう。

ちなみに僕は、下品な表現や差別的表現に関するタブーには人一倍配慮しているが、後者であるこの「ポッドキャストのタブー」に関しては、一度も気にしたことがない。むしろ、積極的にタブーを破壊していくよう心がけている。

それが僕にとっての「表現の自由」だからだ。
posted by 南部イチヒコ at 02:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年04月14日

若年層に対する自己主張が老いを招く

歳をとることは、害悪である。
死に向かって、生物としてのリミットが短くなってんだから、自分にとって良い状態ではないに決まってる。

だから年上は敬まれるし、崇められるし、大切にしなければならないものとされている。

ただ、歳をとってることに全然自覚がなくて、害悪を受けてるなんてこれっぽっちも感じさせない勢いの人がいる。
こういう類いの人々は、必ずといっていいほど老けてない。つまり、年齢を感じさせない。

年相応に老けていく人々とそうでない人々。
その違いはどこにあるのか、最近よく考える。

その一つに、「若年層に対する自己主張」があると思う。

このときの「若年層」とは、世間一般の若人達を指す。つまり、対象が自分ではなく、他者なのだ。
自分自身の若い頃を思い出し、反省もしくは改善点を見いだしながら生きてくってことは、誰しもやってることだ。
そうではなく、何故だか世の若者達と、歳をとった自分を比較し、主張しようとしてしまう行為だ。

誰も聞いちゃいないのに、
「若い人はどうだか知らないけど」って言う。
「19,20歳のコじゃあるまいし」って言うのが口癖になってる。
「僕には分からないけど、若い人にはウけるんじゃないすか」って言う。

「若い」というだけで世の若者をひとくくりにし、例え自分の中だけの話であっても、一方的に自己主張や攻撃を繰り返す。
それは行き場のない敵対視のようにもみえる。

こういうことを言う人を見ると、僕は「あぁ、老けてるなぁ」って思う。

前述のように、社会のシステムは年上を大切に扱うべきものとして構成され、浸透している。
なのに老けてる人々は、必死になって、躍起になって、まるで老いた自分を正当化するかのように(本来正当化できる社会のシステムなのだが)、無駄な自己主張を繰り返す。

若者としては「?」っていう感情以外の何物でもないだろう。

敬うべき立場の人間から、なぜか必死に抵抗されてしまったときの無気力感。
そして、この一方的な「負け犬の遠吠え感」が、さらにある種の郷愁をも生み出す。

「…何焦ってんだよ?おっさん(おばさん)?」
若者達は多分、そう感じるに違いない。

その点、老いを感じさせない人々っていうのは、無駄に若年層を比較対象にしたりせず、常に自分の中で切磋琢磨してる印象を受ける。自分の物差しっていうのを大切にしてる。

「私は私、人は人」。

このシンプルなスタンスを純粋に貫いている人ほど、輝いてる。
だが。

「私は私、若者は若者」。

こう言い換えてしまった段階で、あなたの老化は急激に進む。
同時に、進化も止まるだろう。

自分自身に自信をもつことは決して悪いことではない。
ただそれを、世間一般の若年層にアピールする必要は全くない、と僕は思う。
posted by 南部イチヒコ at 11:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月22日

既存のものに捕われないスタイルを

最近、動画についての知識を増やすために、
映像編集についての本やサンプルなどを読んだり見たりしている。

中には実例に基づいた編集方法なども提示されているものもある。
インタビュー番組、自主制作映画、ミュージッククリップ、CMなど、シーンに応じたそれぞれのやり方が解説されているものだ。

色々と興味深く学ぶうちに、ふと気づいたのは、
「僕のやりたいものは、これらサンプルの中のどれでもない」ということだった。

ビデオポッドキャスト・ビデオブログを製作するにおいて必要な技術は、それほど多くないと思う。

そして、時に、映像編集の基本的なスタイルとは全く別次元の、考え方やスタンスが必要とされるように思うのだ。

短い放送時間、最終的に作品はWeb上で公開されるという前提、そして、インパクト重視の作品を好むユーザー層。

例えば、
まるで音声編集のように、同じカットの映像一本のみを、
必要最小限の部分だけをめまぐるしく数秒単位で切り刻んでつなげていくジェット☆ダイスケ氏の手法『ジェットカット』などは、どこの映像編集本にも載っていない、ビデオブログならではの手法だ。

既に形式が決まっている手法・映像を作り出したところで、既存メディア達が制作するそれには到底勝てないし、面白みに欠ける。

ブログやポッドキャストという新しい文化だからこそ、
既存メディアにはない、新しい手法・映像を生み出せたらと思う。

当然、これは音声ポッドキャストの世界にも当てはまる。

オープニングにジングルは必要か?
必ずトークラジオ形式にする必要はあるか?
ラジオドラマにしなければならない必要性は?
声が特徴的である必要はあるか?
アーティストの曲をあなたが紹介する必要性は?
『番組へのお便り紹介』は必ずしも必要か?
そもそも、MCが生身の人間の声である必要はあるか?

知らず知らずのうちに、既存音声メディア達によって形成された固定概念の数々に、あなたは汚染されていないだろうか?

例えば、5分間、意味不明の言葉を叫びっぱなしの番組があったとしても、良いのではないか?


既存のものに捕われないスタイルを、
僕は追求していきたいと思っている。

それが、ポッドキャストの醍醐味であると感じるからだ。
posted by 南部イチヒコ at 05:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記