2008年8月23日(土)に広島県で開催される、「ポッドキャスト・ゼミナール」の特設ブログが非常に興味深い。
イベントを開催する際、一番必要なのは「統一感」だと思う。
その意味では、この特設ブログは、ほぼパーフェクトのクオリティを持っているといえる。
東京都を含む各地方から、開催地である広島県までの各交通費の詳細、現地付近のおすすめの観光スポット、そして、イベント開催までの間、かなりの高頻度で配信される音声コンテンツ。
配信者、および配信者予備軍でなくとも、思わず「行ってみたい」と思わせるようなそれらの演出が、丁寧に、かつ、完全にカラーが統一された形で表現されている。
これはおそらく、音声ファイルだけでなく、ブログのデザインやテキストといった、音声以外の部分をトータルプロデュースできるスキルを持つ、ヒロカズエモーション氏が主催に参加されているところが大きい。
また、当日のイベントの内容を、「ポッドキャスト・ゼミナール通信」と称し、少しずつ情報を開示していくティーザー形式の音声配信も非常に興味深い。
ここまできめ細やかなイベント・プロモーション・ブログを製作できるのは、ヒロカズエモーション氏ら率いる「続・師匠的」チームと、Mr.Longhead氏ら率いる「段原トラボルタ」チームによる少数での運営ということと、そして何より、運営スタッフ間での「リーダー」「フォロワー」の所在がはっきりしているからだと感じる。
スタッフの各々がヘタなプライドをかけてそれぞれの思いをバラバラに実現しようとすると、イベントは必ず失敗する。
仮に成功したとしても、それは、誰の、何に対しての成功だったか、誰も説明できないような、曖昧なものとなる。
そういう意味で、ヒロカズエモーション氏の統率力が遺憾なく発揮されているこの「ポッドキャスト・ゼミナール」は、間違いのないイベントだといえる。
イベントの成功を、心よりお祈りさせていただきたい。
2008年07月03日
2008年06月29日
「配信行為に課金する」という提案
一時期、ポッドキャスト番組受信に対して課金制を導入する動きがあったようだが、僕は逆に、「配信する度にお金がかかる」、つまり配信行為に課金してみてはどうだろうか?と思う。
これによって生じるメリットはいくつかあるが、その中で一番大きなものは、
「全体のクオリティアップを図れる」ことにある。
金を払ってまで配信したい人達が集うのだから、
その配信の内容は当然、充実したものを製作するようになるだろう。
「それでも聞いてもらいたい」
「金を払ってまでも、聞いてもらうことによって自分達にはメリットがある」
そう考える表現者達が、業界に注目するようになる。
同時に、スパム同然の配信者たちをふるいにかけることができる。
受信者も、番組選びを迷うことなく、安心して良質な番組を聞くことができる。
料金を徴収するポータル側は当然、
その課金ぶんの予算を、番組の宣伝費にあてることができる。
ここで大事なのは、あくまで受信者の方々には一切料金がかからないようにすることだ。
配信は有料、受信は無料。
もしこの制度がポッドキャスト全体の義務となれば、
ポッドキャスト界は、おそらく今の雰囲気とはがらりと変わるはずだ。
現在のポッドキャスト界に早急に望まれるのは、
「生半可な気持ちではなく、本気で表現したい配信者」の出現なのだから。
これによって生じるメリットはいくつかあるが、その中で一番大きなものは、
「全体のクオリティアップを図れる」ことにある。
金を払ってまで配信したい人達が集うのだから、
その配信の内容は当然、充実したものを製作するようになるだろう。
「それでも聞いてもらいたい」
「金を払ってまでも、聞いてもらうことによって自分達にはメリットがある」
そう考える表現者達が、業界に注目するようになる。
同時に、スパム同然の配信者たちをふるいにかけることができる。
受信者も、番組選びを迷うことなく、安心して良質な番組を聞くことができる。
料金を徴収するポータル側は当然、
その課金ぶんの予算を、番組の宣伝費にあてることができる。
ここで大事なのは、あくまで受信者の方々には一切料金がかからないようにすることだ。
配信は有料、受信は無料。
もしこの制度がポッドキャスト全体の義務となれば、
ポッドキャスト界は、おそらく今の雰囲気とはがらりと変わるはずだ。
現在のポッドキャスト界に早急に望まれるのは、
「生半可な気持ちではなく、本気で表現したい配信者」の出現なのだから。
“バラエティ班”という感覚
ポッドキャストを配信してる中で、自分達が「バラエティ班である(=お笑い系である)」という認識を持って配信してる人って、どれくらい居るんだろうね。
何かを配信するとき、どこでも、どんな時でも、面白いかどうかはともかく、「笑わせないといけない」みたいな感覚を持ってる人達。
案外、そういう人達は少ないのかも知れない。
「ボクは違いますから」とか「ウチはそういうのぢゃないんで」みたいな、聞いてもないのに否定の断りを丁寧にする方々は腐るほど居る気がするけど。
「ポッドキャストはお笑いがメイン」とか思い込んじゃってる人も多いように思う。
各種ランキング上位は、語学や朗読やエロやヲタやIT系が多くを占めてるってのに。
多分、そういう思い込みをしちゃう人々って、その人のポッドキャスト・ライフの中で、「お笑い」の番組がヒエラルキー的に高いんだろうな。
逆に、自分がバラエティ班であると認識してる俺も、
ちゃんとそれを再認識しなければならないなぁと最近強く思う。
要するに、自分は異端だってことを。
みんながみんな、面白い事を言おうと配信してるわけじゃない。
むしろ、真面目な人が多いんだ。
だから、聞いてみて面白くなくても、批判してはいけない。
そもそも最初から、そういう意図じゃない人ばっかりなんだから。
期待なんかする方が間違ってる。
ただ、「ネットラジオ」の世界の人は、その9割がバラエティ班である気がするなぁ。
ノリとか笑い方とかがちゃんと同じで、ある程度の基本が分かってて、絡むにしても、やりやすいんだろうなぁ。
…居心地、いいんだろうなぁ。
何かを配信するとき、どこでも、どんな時でも、面白いかどうかはともかく、「笑わせないといけない」みたいな感覚を持ってる人達。
案外、そういう人達は少ないのかも知れない。
「ボクは違いますから」とか「ウチはそういうのぢゃないんで」みたいな、聞いてもないのに否定の断りを丁寧にする方々は腐るほど居る気がするけど。
「ポッドキャストはお笑いがメイン」とか思い込んじゃってる人も多いように思う。
各種ランキング上位は、語学や朗読やエロやヲタやIT系が多くを占めてるってのに。
多分、そういう思い込みをしちゃう人々って、その人のポッドキャスト・ライフの中で、「お笑い」の番組がヒエラルキー的に高いんだろうな。
逆に、自分がバラエティ班であると認識してる俺も、
ちゃんとそれを再認識しなければならないなぁと最近強く思う。
要するに、自分は異端だってことを。
みんながみんな、面白い事を言おうと配信してるわけじゃない。
むしろ、真面目な人が多いんだ。
だから、聞いてみて面白くなくても、批判してはいけない。
そもそも最初から、そういう意図じゃない人ばっかりなんだから。
期待なんかする方が間違ってる。
ただ、「ネットラジオ」の世界の人は、その9割がバラエティ班である気がするなぁ。
ノリとか笑い方とかがちゃんと同じで、ある程度の基本が分かってて、絡むにしても、やりやすいんだろうなぁ。
…居心地、いいんだろうなぁ。
2008年06月13日
あなたはポッドキャスターに『成れる/慣れる』か?
インディーズのポッドキャスト番組とは、単に音声ブログのことを指す場合が多い。
音声ブログとは、本来、テキストや画像が中心であるブログを、音声を中心で行うものだ。
だが、その定義は、正確には未だ、はっきりしない。
どちらかというと、配信者よりも、受信者の方々にとっての定義がはっきりしていないと感じる。
プロによるキャンペーン・ツールだと捉えている方。
ネットラジオだと捉えている方。
ブログの音声版だと捉えている方。
新しい文化だと捉えている方。
単に、友達との声での交流手段と捉えている方。
「個人情報をみだりに晒してはいけない」という常識が定着しているサイバースペースにおいて、自分のパーソナリティを特定するに重要なパーツとなる「声」を晒し、場合によっては「顔」すら晒しているポッドキャスター達の存在を、上手く定義できないのは、至極当然だといえる。
事実、僕の元にも「プロのMCの方なんですか?」といった質問が、少なからず舞い込む。
特に、プロとアマチュアを区別/差別することなく紹介しているiTunes StoreのPodcastカテゴリから受信している方々にとっては、我々インディーズ・ポッドキャスト番組配信者の定義は、かなり曖昧なものとなっているだろう。
さて、このような現状で、ポッドキャスターが気をつけなければならないことは、一体何だろうか。
それは、「自分がメディアとして捉えられる可能性がある」ということを、肝に銘じなくてはいけない、ということだ。
あなたが音声ファイルをサーバーにアップロードした時点で、受信者の方々はあなたを様々な観点から感じ、時には誤解し、時には権威を感じ、そして時には、絶賛するだろう。
受信者の方々には、そのファイルについて、また、その声の主のパーソナリティについて、自由に感じ、論じる権利がある。
なおかつ、一切の責任・義務がない。
全ては、配信者である、ポッドキャスターであるあなたの自己責任となる。
叩かれることもあるだろう。
プロと勘違いされ、酷評されることもあるだろう。
また、神聖化され、崇められることもあるだろう。
放送内容の意図とは異なるように誤解され、波紋が広がることもあるだろう。
それらは全て、マイクを持つ運命を選んだ、つまり、ポッドキャスターに成ることを選んだ、あなた自身の全責任だ。
それがもし嫌なら、今すぐマイクを捨て、一切の個人情報を隠してネット上における全表現行為を封鎖したほうが、おそらく幸せになれる。
果たしてそんな、『ポッドキャスター』というやっかいなポジションに、「成れる/慣れる」素質を持っているのかどうか。
今一度、自分に問いかけてみるのも良いかも知れない。
あなたが想像しているほど、世の中は善人ばかりではない。
「そんなつもりでは無かった」と嘆く前に、そのmp3ファイルの重みを感じるべきだ。
音声ブログとは、本来、テキストや画像が中心であるブログを、音声を中心で行うものだ。
だが、その定義は、正確には未だ、はっきりしない。
どちらかというと、配信者よりも、受信者の方々にとっての定義がはっきりしていないと感じる。
プロによるキャンペーン・ツールだと捉えている方。
ネットラジオだと捉えている方。
ブログの音声版だと捉えている方。
新しい文化だと捉えている方。
単に、友達との声での交流手段と捉えている方。
「個人情報をみだりに晒してはいけない」という常識が定着しているサイバースペースにおいて、自分のパーソナリティを特定するに重要なパーツとなる「声」を晒し、場合によっては「顔」すら晒しているポッドキャスター達の存在を、上手く定義できないのは、至極当然だといえる。
事実、僕の元にも「プロのMCの方なんですか?」といった質問が、少なからず舞い込む。
特に、プロとアマチュアを区別/差別することなく紹介しているiTunes StoreのPodcastカテゴリから受信している方々にとっては、我々インディーズ・ポッドキャスト番組配信者の定義は、かなり曖昧なものとなっているだろう。
さて、このような現状で、ポッドキャスターが気をつけなければならないことは、一体何だろうか。
それは、「自分がメディアとして捉えられる可能性がある」ということを、肝に銘じなくてはいけない、ということだ。
あなたが音声ファイルをサーバーにアップロードした時点で、受信者の方々はあなたを様々な観点から感じ、時には誤解し、時には権威を感じ、そして時には、絶賛するだろう。
受信者の方々には、そのファイルについて、また、その声の主のパーソナリティについて、自由に感じ、論じる権利がある。
なおかつ、一切の責任・義務がない。
全ては、配信者である、ポッドキャスターであるあなたの自己責任となる。
叩かれることもあるだろう。
プロと勘違いされ、酷評されることもあるだろう。
また、神聖化され、崇められることもあるだろう。
放送内容の意図とは異なるように誤解され、波紋が広がることもあるだろう。
それらは全て、マイクを持つ運命を選んだ、つまり、ポッドキャスターに成ることを選んだ、あなた自身の全責任だ。
それがもし嫌なら、今すぐマイクを捨て、一切の個人情報を隠してネット上における全表現行為を封鎖したほうが、おそらく幸せになれる。
果たしてそんな、『ポッドキャスター』というやっかいなポジションに、「成れる/慣れる」素質を持っているのかどうか。
今一度、自分に問いかけてみるのも良いかも知れない。
あなたが想像しているほど、世の中は善人ばかりではない。
「そんなつもりでは無かった」と嘆く前に、そのmp3ファイルの重みを感じるべきだ。
2008年06月08日
ネット上の全ての人を対象に考えるということ
音声ブログのエントリのほとんどは、文章が少ない。
かくいうウチの番組もそうだ。
音声編集にばかり気をとられて、どうしても文章は後回しになってしまう。
でもこれ、検索でたまたま音声ブログにぶち当たった人達からしたら、わけがわからないブログエントリなのかもしれない。
ちょろっとした文章と音声プレイヤー。
興味があったとしても、どう楽しんでいいのか、全然わかんないだろう。
もちろん、「ポッドキャスト」や「ネットラジオ」って言葉を知ってて、「聞き方」を知ってる人、および、iTunes Storeから飛んでくる人達には、抵抗なくすんなり入っていけるんだろうけど。
でもそれって、例えばリアルに置き換えれば、
「友達(知り合い)がやってるから聞いてあげてる」感覚に近い。
要するに超内輪向けなシステムだ。
ポータルがほぼ壊滅状態の昨今、ポッドキャストなんて言葉はもうこれ以上は流行らない。
たまたま、何かのアクシデントでポッドキャストの世界を知る少数の人達を待ってたって、どうしようもない。
もっと門戸を広げるべきだろうな。
それにはまず、配信者達が、「ポッドキャスト好きの人のための音声ブログ」ではなく、「ネット上で、普通に通りがかった人が見てくれる音声ブログ」をつくることが必要なんじゃないかなと思う。
おかんニュースなんかは文章もちゃんと書いてたけど、それはそういう意図でやってたつもり。
まぁおかんは動画にしたから、もう文章は要らないけどね。
動画は、ネットの文化として見事定着したんだから。
「とりあえずYouTubeの画面があったら再生する」っていうのは、もうみんなにとって暗黙の了解になってるし。
けどポッドキャストはそうはならなかったんだから、俺らが努力しないとね。
あーちなみに。
こんなことエントリ書くと、必ず言われる、
「その前に、まず内輪が盛り上がらないとダメじゃないか!」っていう、一見筋の通ってるように思えるクソ理論は俺には不要。
そういう考えをお持ちの方に、ちょっと意見させていただく。
まず、盛り上がってないなら、それは内輪とは言わないよ。
ポッドキャストを楽しんでる人達は、既に一定数存在するし、ちゃんと各々が盛り上がってる。
だから「内輪」って概念が形成されんだ。
それに、楽しい!素晴らしい!って感動するだけが「盛り上がる」ってことでも無いし(宗教じゃねえんだからな)。マイナス面も含めて、そういう意味では十分盛り上がってるんだよ。内輪は。
なのに、なんで必死にこれ以上内輪を無駄に盛り上げようとするか?ですよ。
それは、外部との温度差が激しいことを知ってるから。
そして、一見内輪を重視してるように思えて、実は、外の人間を引きずり込もうと必死だから。
でもね、そんなやり方じゃ、外との温度差は開く一方。
目を覚ましたほうがいい。
かくいうウチの番組もそうだ。
音声編集にばかり気をとられて、どうしても文章は後回しになってしまう。
でもこれ、検索でたまたま音声ブログにぶち当たった人達からしたら、わけがわからないブログエントリなのかもしれない。
ちょろっとした文章と音声プレイヤー。
興味があったとしても、どう楽しんでいいのか、全然わかんないだろう。
もちろん、「ポッドキャスト」や「ネットラジオ」って言葉を知ってて、「聞き方」を知ってる人、および、iTunes Storeから飛んでくる人達には、抵抗なくすんなり入っていけるんだろうけど。
でもそれって、例えばリアルに置き換えれば、
「友達(知り合い)がやってるから聞いてあげてる」感覚に近い。
要するに超内輪向けなシステムだ。
ポータルがほぼ壊滅状態の昨今、ポッドキャストなんて言葉はもうこれ以上は流行らない。
たまたま、何かのアクシデントでポッドキャストの世界を知る少数の人達を待ってたって、どうしようもない。
もっと門戸を広げるべきだろうな。
それにはまず、配信者達が、「ポッドキャスト好きの人のための音声ブログ」ではなく、「ネット上で、普通に通りがかった人が見てくれる音声ブログ」をつくることが必要なんじゃないかなと思う。
おかんニュースなんかは文章もちゃんと書いてたけど、それはそういう意図でやってたつもり。
まぁおかんは動画にしたから、もう文章は要らないけどね。
動画は、ネットの文化として見事定着したんだから。
「とりあえずYouTubeの画面があったら再生する」っていうのは、もうみんなにとって暗黙の了解になってるし。
けどポッドキャストはそうはならなかったんだから、俺らが努力しないとね。
あーちなみに。
こんなことエントリ書くと、必ず言われる、
「その前に、まず内輪が盛り上がらないとダメじゃないか!」っていう、一見筋の通ってるように思えるクソ理論は俺には不要。
そういう考えをお持ちの方に、ちょっと意見させていただく。
まず、盛り上がってないなら、それは内輪とは言わないよ。
ポッドキャストを楽しんでる人達は、既に一定数存在するし、ちゃんと各々が盛り上がってる。
だから「内輪」って概念が形成されんだ。
それに、楽しい!素晴らしい!って感動するだけが「盛り上がる」ってことでも無いし(宗教じゃねえんだからな)。マイナス面も含めて、そういう意味では十分盛り上がってるんだよ。内輪は。
なのに、なんで必死にこれ以上内輪を無駄に盛り上げようとするか?ですよ。
それは、外部との温度差が激しいことを知ってるから。
そして、一見内輪を重視してるように思えて、実は、外の人間を引きずり込もうと必死だから。
でもね、そんなやり方じゃ、外との温度差は開く一方。
目を覚ましたほうがいい。
2008年06月07日
プライドを捨て、向上心を持とう
もしも、あなたが駆け出しのポッドキャスターで、現在よりも、より良い番組作り、そしてより多くの受信者の方々に聞かれる番組作りを考えているのなら。
まずは、自分の番組に対するプライドを捨てるのが最優先ではないかと考える。
サイバースペースにおける表現活動は、基本的に孤独だ。
音声や動画といった、「再生しないと閲覧できない/パッと見で、スキャンできない」コンテンツがメインとなるインディーズ・ポッドキャストの世界では、その傾向はさらに顕著なものとなるように思う。
「自分の番組は、他の番組よりも面白い…はず」
あるいは、
「例え誰も聞いてくれなくても、これが私の番組だから、いいんだ」
自分自身にそう言い聞かせてしまえば、他人の評価を待つことなく、
あなたの番組は、一瞬で、無数に番組が散らばるサイバースペースの中で確固たる存在を築き上げることができる。
だが、あなたの番組のクオリティは、10年後もそのままだろう。
自分を納得させる言い訳をひとまず置いておいて、外に目を向けてみてほしい。
他人の番組と自分の番組は、どこがどう違うのか。
喋っている内容、扱っている題材は、どこがどう違うのか。
冷静かつ客観的な耳をもって、じっくり聞き比べてみてほしい。
それがもし出来たなら、
次は、理想の番組に向けて、実際に行動を開始してほしい。
より良い番組のために、どんな機材が必要なのか。
より良い番組のために、どんな内容にすれば良いのか。
そして、
より良い番組のために、どう面白くすれば良いのか。
ポッドキャストはあくまで、サイバースペース上での文化だ。
したがって当然、その行動もサイバースペース内で完結させることが出来る。
まずは基本的なポッドキャストの製作方法をWebページ上から検索して、おさらいをして、
その後に必要になるのは、
ターゲット、あるいはモデルにしている配信者への直接のコンタクトだ。
多くの配信者は、メールアドレスなりmixiアカウントなりの、連絡手段を公開している。
「わたしの番組を聞いてみてください!!」という、プライド込みの『宣伝』ではなく、
あくまで真摯な態度で、
「わたしの番組をより良くしたいのです」という『相談』を持ちかけることに成功すれば、
大抵の配信者は、自分の持っている知識・技術を公開してくれるだろう。
ポッドキャスト制作に関する全てのマテリアルは、Web上の他の文化と違って、そう難しいことではないからだ。
万が一、それらの配信者に門前払いを喰らって、
誰にも相談を聞いてもらえなかったのなら。
kobe-chunen@hotmail.co.jp
上記のメールアドレスに、『相談』を持ちかけてみてほしい。
これは僕のアドレスだ。
他の配信者達ほど知識や技術は無いかも知れないが、僕なりに、
持てる限りの全ての力を使って応対させていただく。
僕は一応、「お笑い」のジャンルを専門としている。
「どうすれば面白い事を喋れるか?」等の相談も大歓迎だ。
…ただしあくまで僕なりの答えなので、結果の保証は出来ないが。
より良いポッドキャスト番組制作に、才能など必要ない。
技術や知識に関することも、他の文化と比べれば、最低限のもので済む。
あとは、あなたが努力して上記の「行動」を開始するか否か、だけにかかっている。
新米ポッドキャスターの憂鬱から抜け出すことは、意外と簡単なことなのだから。
まずは、自分の番組に対するプライドを捨てるのが最優先ではないかと考える。
サイバースペースにおける表現活動は、基本的に孤独だ。
音声や動画といった、「再生しないと閲覧できない/パッと見で、スキャンできない」コンテンツがメインとなるインディーズ・ポッドキャストの世界では、その傾向はさらに顕著なものとなるように思う。
「自分の番組は、他の番組よりも面白い…はず」
あるいは、
「例え誰も聞いてくれなくても、これが私の番組だから、いいんだ」
自分自身にそう言い聞かせてしまえば、他人の評価を待つことなく、
あなたの番組は、一瞬で、無数に番組が散らばるサイバースペースの中で確固たる存在を築き上げることができる。
だが、あなたの番組のクオリティは、10年後もそのままだろう。
自分を納得させる言い訳をひとまず置いておいて、外に目を向けてみてほしい。
他人の番組と自分の番組は、どこがどう違うのか。
喋っている内容、扱っている題材は、どこがどう違うのか。
冷静かつ客観的な耳をもって、じっくり聞き比べてみてほしい。
それがもし出来たなら、
次は、理想の番組に向けて、実際に行動を開始してほしい。
より良い番組のために、どんな機材が必要なのか。
より良い番組のために、どんな内容にすれば良いのか。
そして、
より良い番組のために、どう面白くすれば良いのか。
ポッドキャストはあくまで、サイバースペース上での文化だ。
したがって当然、その行動もサイバースペース内で完結させることが出来る。
まずは基本的なポッドキャストの製作方法をWebページ上から検索して、おさらいをして、
その後に必要になるのは、
ターゲット、あるいはモデルにしている配信者への直接のコンタクトだ。
多くの配信者は、メールアドレスなりmixiアカウントなりの、連絡手段を公開している。
「わたしの番組を聞いてみてください!!」という、プライド込みの『宣伝』ではなく、
あくまで真摯な態度で、
「わたしの番組をより良くしたいのです」という『相談』を持ちかけることに成功すれば、
大抵の配信者は、自分の持っている知識・技術を公開してくれるだろう。
ポッドキャスト制作に関する全てのマテリアルは、Web上の他の文化と違って、そう難しいことではないからだ。
万が一、それらの配信者に門前払いを喰らって、
誰にも相談を聞いてもらえなかったのなら。
kobe-chunen@hotmail.co.jp
上記のメールアドレスに、『相談』を持ちかけてみてほしい。
これは僕のアドレスだ。
他の配信者達ほど知識や技術は無いかも知れないが、僕なりに、
持てる限りの全ての力を使って応対させていただく。
僕は一応、「お笑い」のジャンルを専門としている。
「どうすれば面白い事を喋れるか?」等の相談も大歓迎だ。
…ただしあくまで僕なりの答えなので、結果の保証は出来ないが。
より良いポッドキャスト番組制作に、才能など必要ない。
技術や知識に関することも、他の文化と比べれば、最低限のもので済む。
あとは、あなたが努力して上記の「行動」を開始するか否か、だけにかかっている。
新米ポッドキャスターの憂鬱から抜け出すことは、意外と簡単なことなのだから。
2008年06月01日
ポッドキャスト・フェスタという構想
今回は、ポッドキャスト・イベント案を投げてみたいと思います。
あくまでネコパンチ的に。
・ホール的な所を貸し切り
・入場有料
・希望する番組配信者が有料でブースを構え出展/出店
・各種ブースでは何をしてもOK(物販・受信者の方々との交流など)
・メインステージがあり、そこで各配信者がブースの宣伝をしたりちょっとしたトークイベント
・飲食あり
・コスプレあり?(?)
・それぞれの番組のオフ会が同時期・同場所で複数開催されるイメージ
・インディーズっぽいノリを打ち出したイベント。
問題は場所だなぁ…。
そういうのに適した場所が手頃な予算であるかどうか…。
あくまでネコパンチ的に。
・ホール的な所を貸し切り
・入場有料
・希望する番組配信者が有料でブースを構え出展/出店
・各種ブースでは何をしてもOK(物販・受信者の方々との交流など)
・メインステージがあり、そこで各配信者がブースの宣伝をしたりちょっとしたトークイベント
・飲食あり
・コスプレあり?(?)
・それぞれの番組のオフ会が同時期・同場所で複数開催されるイメージ
・インディーズっぽいノリを打ち出したイベント。
問題は場所だなぁ…。
そういうのに適した場所が手頃な予算であるかどうか…。
2008年05月13日
コメディPODCASTしか作る気がしない



画像は、iTunes Storeにおける自分の番組のページ。
ジャンルは全部、いわゆる「コメディ」。お笑いってことだ。
インディーズでPODCASTやってる人の中には、コメディの他にも、さまざまなジャンルを謳ってる人がいる。
iTunes StoreのPODCAST欄にも、色んなジャンルが用意されてる。
でも自分は、コメディってジャンルにこだわって配信してる。
なんでか?っていうと、理由は3つぐらいある。
一つは、俺が聞く(見る)なら、コメディしかありえないってこと。
これはプロの番組も含めて、だ。
俺は別にiPodでヨガのやり方を覚えるほどスイーツ(笑)ではないし、経済ニュースを常にチェックしたいほど毎朝ネクタイをきつく締めて出勤してるわけでもない。
かといって、一般人や一般動物ののんびりした日常や趣味を観察するほどヒマではないし、5秒で極上のエロ動画にアクセスできるこの時代に、わざわざ耳からエロい女性の声を聞こうとも思わない。ジジィじゃあるまいし。
ってかぶっちゃけ、別にポッドキャスト・コンテンツなんて興味ない。
それでも唯一、聞いてやるとしたら、見てやるとしたら、まぁお笑いぐらいじゃねーの?って感じ。だから。
次に挙げられる理由は、コメディは、評価されたとき、作ってる人自身の評価に直結するから。
他のジャンルだと、そのコンテンツが評価されたとき、一番「偉い!すごい!」って思われるのは、案外コンテンツ作成者自身ではなく、扱ってる内容そのものだったりする。
それこそ、「ヨガが偉い!」だったり、「英語が偉い!」だったり、「女エロい!」だったり。
なんか「便利!」ってニュアンスが強い。
例えば女性が、帰りが遅くなって家まで送ってもらいたいときに呼び出す、クルマ持ちの友達の男性。
この場合偉いのは「自動車」そのものでしょ。その男性自身の評価なんて、まぁ二の次でしょう。
要するに、その男でなくても、クルマさえあればいいわけだから。それと一緒。
俺はそんな便利屋を気取ってまで何かを表現したいなんてこれっぽっちも思わない。
大体そんなの、…モテない。笑
最後の理由、それは、コメディは「ゼロ」から作り上げるコンテンツだから。
予備知識いっさい無しで、マイクと喋りだけで超シンプルに作れるのがコメディだと思う。
どんな人間でも、笑いをとることは出来る。ネタが一切喋れなくても、とりあえずすっ転んでおけば笑いがとれたりする。
そして、笑ってもらえれば、あるいは笑っていれば、深刻な場面でも、とりあえずは気分転換できるっていう効果もある。
「コメディ」なんてくくりは、実はナンセンスだと思ってる。
どんなシーンでも、ジャンルでも、笑いってのは常にスパイスや緩和剤として使われてる場合がいっぱいあると思うから。
いわば、ゼロから作り上げるオールジャンル。
そこに醍醐味を感じてるから、自分はコメディしかつくらない。
2008年04月24日
ポッドキャストのタブーは放送禁止用語だけではない
既存メディアのかかえる「絶対に放送できない」タブー事項は、何も下品な表現や差別的表現ばかりではない。
広告代理店やスポンサーなど、放送側にとって何らかの経済的・権力的利益をもたらす企業や個人に対しての批判なども、タブーとなる。
TVの野球中継が、視聴者の趣向を完全に無視して、「スポンサーのご好意により」延長されるのも、「CMの間にトイレに行っておいてください」という、視聴者にとってはなんでもない日常の行為をなぞっただけの発言をしただけで司会者が番組を降板させられるのも、すべてこの後者のタブーに準ずる仕組みだといえる。
さて、一方でポッドキャストの世界はどうだろうか?
インディーズの番組にはスポンサーこそ存在しないが、それでも、あなたがポッドキャストの世界を知っていくうちに、「本当は言いたいが、なんとなく言えなくなっている事」が存在してきているのではないだろうか?
もしもあなたが配信者で、そして、タブーなき自由な放送を心がけているのなら。
日頃より番組を聞いてくれている、受信者の方々。
場所を借りているサーバーを所有する企業。
各種ポッドキャスト・ポータルサイト。
互いを「仲間」として認識している、同配信者達。
それらに、「【意識して】メスを入れない」ということは、あなたが自分自身で勝手に構成している、前述の既存メディアのそれとそっくりな、「ポッドキャストのタブー」にほかならない。
そもそもサイバースペースは、既存メディアよりも、いくらか自由な表現ができる世界だ。
既存メディアにはない自由な表現をポッドキャスト上で謳歌するということは、それらの「ポッドキャストのタブー」を抹殺することだといえるだろう。
ちなみに僕は、下品な表現や差別的表現に関するタブーには人一倍配慮しているが、後者であるこの「ポッドキャストのタブー」に関しては、一度も気にしたことがない。むしろ、積極的にタブーを破壊していくよう心がけている。
それが僕にとっての「表現の自由」だからだ。
広告代理店やスポンサーなど、放送側にとって何らかの経済的・権力的利益をもたらす企業や個人に対しての批判なども、タブーとなる。
TVの野球中継が、視聴者の趣向を完全に無視して、「スポンサーのご好意により」延長されるのも、「CMの間にトイレに行っておいてください」という、視聴者にとってはなんでもない日常の行為をなぞっただけの発言をしただけで司会者が番組を降板させられるのも、すべてこの後者のタブーに準ずる仕組みだといえる。
さて、一方でポッドキャストの世界はどうだろうか?
インディーズの番組にはスポンサーこそ存在しないが、それでも、あなたがポッドキャストの世界を知っていくうちに、「本当は言いたいが、なんとなく言えなくなっている事」が存在してきているのではないだろうか?
もしもあなたが配信者で、そして、タブーなき自由な放送を心がけているのなら。
日頃より番組を聞いてくれている、受信者の方々。
場所を借りているサーバーを所有する企業。
各種ポッドキャスト・ポータルサイト。
互いを「仲間」として認識している、同配信者達。
それらに、「【意識して】メスを入れない」ということは、あなたが自分自身で勝手に構成している、前述の既存メディアのそれとそっくりな、「ポッドキャストのタブー」にほかならない。
そもそもサイバースペースは、既存メディアよりも、いくらか自由な表現ができる世界だ。
既存メディアにはない自由な表現をポッドキャスト上で謳歌するということは、それらの「ポッドキャストのタブー」を抹殺することだといえるだろう。
ちなみに僕は、下品な表現や差別的表現に関するタブーには人一倍配慮しているが、後者であるこの「ポッドキャストのタブー」に関しては、一度も気にしたことがない。むしろ、積極的にタブーを破壊していくよう心がけている。
それが僕にとっての「表現の自由」だからだ。
2008年04月14日
若年層に対する自己主張が老いを招く
歳をとることは、害悪である。
死に向かって、生物としてのリミットが短くなってんだから、自分にとって良い状態ではないに決まってる。
だから年上は敬まれるし、崇められるし、大切にしなければならないものとされている。
ただ、歳をとってることに全然自覚がなくて、害悪を受けてるなんてこれっぽっちも感じさせない勢いの人がいる。
こういう類いの人々は、必ずといっていいほど老けてない。つまり、年齢を感じさせない。
年相応に老けていく人々とそうでない人々。
その違いはどこにあるのか、最近よく考える。
その一つに、「若年層に対する自己主張」があると思う。
このときの「若年層」とは、世間一般の若人達を指す。つまり、対象が自分ではなく、他者なのだ。
自分自身の若い頃を思い出し、反省もしくは改善点を見いだしながら生きてくってことは、誰しもやってることだ。
そうではなく、何故だか世の若者達と、歳をとった自分を比較し、主張しようとしてしまう行為だ。
誰も聞いちゃいないのに、
「若い人はどうだか知らないけど」って言う。
「19,20歳のコじゃあるまいし」って言うのが口癖になってる。
「僕には分からないけど、若い人にはウけるんじゃないすか」って言う。
「若い」というだけで世の若者をひとくくりにし、例え自分の中だけの話であっても、一方的に自己主張や攻撃を繰り返す。
それは行き場のない敵対視のようにもみえる。
こういうことを言う人を見ると、僕は「あぁ、老けてるなぁ」って思う。
前述のように、社会のシステムは年上を大切に扱うべきものとして構成され、浸透している。
なのに老けてる人々は、必死になって、躍起になって、まるで老いた自分を正当化するかのように(本来正当化できる社会のシステムなのだが)、無駄な自己主張を繰り返す。
若者としては「?」っていう感情以外の何物でもないだろう。
敬うべき立場の人間から、なぜか必死に抵抗されてしまったときの無気力感。
そして、この一方的な「負け犬の遠吠え感」が、さらにある種の郷愁をも生み出す。
「…何焦ってんだよ?おっさん(おばさん)?」
若者達は多分、そう感じるに違いない。
その点、老いを感じさせない人々っていうのは、無駄に若年層を比較対象にしたりせず、常に自分の中で切磋琢磨してる印象を受ける。自分の物差しっていうのを大切にしてる。
「私は私、人は人」。
このシンプルなスタンスを純粋に貫いている人ほど、輝いてる。
だが。
「私は私、若者は若者」。
こう言い換えてしまった段階で、あなたの老化は急激に進む。
同時に、進化も止まるだろう。
自分自身に自信をもつことは決して悪いことではない。
ただそれを、世間一般の若年層にアピールする必要は全くない、と僕は思う。
死に向かって、生物としてのリミットが短くなってんだから、自分にとって良い状態ではないに決まってる。
だから年上は敬まれるし、崇められるし、大切にしなければならないものとされている。
ただ、歳をとってることに全然自覚がなくて、害悪を受けてるなんてこれっぽっちも感じさせない勢いの人がいる。
こういう類いの人々は、必ずといっていいほど老けてない。つまり、年齢を感じさせない。
年相応に老けていく人々とそうでない人々。
その違いはどこにあるのか、最近よく考える。
その一つに、「若年層に対する自己主張」があると思う。
このときの「若年層」とは、世間一般の若人達を指す。つまり、対象が自分ではなく、他者なのだ。
自分自身の若い頃を思い出し、反省もしくは改善点を見いだしながら生きてくってことは、誰しもやってることだ。
そうではなく、何故だか世の若者達と、歳をとった自分を比較し、主張しようとしてしまう行為だ。
誰も聞いちゃいないのに、
「若い人はどうだか知らないけど」って言う。
「19,20歳のコじゃあるまいし」って言うのが口癖になってる。
「僕には分からないけど、若い人にはウけるんじゃないすか」って言う。
「若い」というだけで世の若者をひとくくりにし、例え自分の中だけの話であっても、一方的に自己主張や攻撃を繰り返す。
それは行き場のない敵対視のようにもみえる。
こういうことを言う人を見ると、僕は「あぁ、老けてるなぁ」って思う。
前述のように、社会のシステムは年上を大切に扱うべきものとして構成され、浸透している。
なのに老けてる人々は、必死になって、躍起になって、まるで老いた自分を正当化するかのように(本来正当化できる社会のシステムなのだが)、無駄な自己主張を繰り返す。
若者としては「?」っていう感情以外の何物でもないだろう。
敬うべき立場の人間から、なぜか必死に抵抗されてしまったときの無気力感。
そして、この一方的な「負け犬の遠吠え感」が、さらにある種の郷愁をも生み出す。
「…何焦ってんだよ?おっさん(おばさん)?」
若者達は多分、そう感じるに違いない。
その点、老いを感じさせない人々っていうのは、無駄に若年層を比較対象にしたりせず、常に自分の中で切磋琢磨してる印象を受ける。自分の物差しっていうのを大切にしてる。
「私は私、人は人」。
このシンプルなスタンスを純粋に貫いている人ほど、輝いてる。
だが。
「私は私、若者は若者」。
こう言い換えてしまった段階で、あなたの老化は急激に進む。
同時に、進化も止まるだろう。
自分自身に自信をもつことは決して悪いことではない。
ただそれを、世間一般の若年層にアピールする必要は全くない、と僕は思う。
2008年03月22日
既存のものに捕われないスタイルを
最近、動画についての知識を増やすために、
映像編集についての本やサンプルなどを読んだり見たりしている。
中には実例に基づいた編集方法なども提示されているものもある。
インタビュー番組、自主制作映画、ミュージッククリップ、CMなど、シーンに応じたそれぞれのやり方が解説されているものだ。
色々と興味深く学ぶうちに、ふと気づいたのは、
「僕のやりたいものは、これらサンプルの中のどれでもない」ということだった。
ビデオポッドキャスト・ビデオブログを製作するにおいて必要な技術は、それほど多くないと思う。
そして、時に、映像編集の基本的なスタイルとは全く別次元の、考え方やスタンスが必要とされるように思うのだ。
短い放送時間、最終的に作品はWeb上で公開されるという前提、そして、インパクト重視の作品を好むユーザー層。
例えば、
まるで音声編集のように、同じカットの映像一本のみを、
必要最小限の部分だけをめまぐるしく数秒単位で切り刻んでつなげていくジェット☆ダイスケ氏の手法『ジェットカット』などは、どこの映像編集本にも載っていない、ビデオブログならではの手法だ。
既に形式が決まっている手法・映像を作り出したところで、既存メディア達が制作するそれには到底勝てないし、面白みに欠ける。
ブログやポッドキャストという新しい文化だからこそ、
既存メディアにはない、新しい手法・映像を生み出せたらと思う。
当然、これは音声ポッドキャストの世界にも当てはまる。
オープニングにジングルは必要か?
必ずトークラジオ形式にする必要はあるか?
ラジオドラマにしなければならない必要性は?
声が特徴的である必要はあるか?
アーティストの曲をあなたが紹介する必要性は?
『番組へのお便り紹介』は必ずしも必要か?
そもそも、MCが生身の人間の声である必要はあるか?
知らず知らずのうちに、既存音声メディア達によって形成された固定概念の数々に、あなたは汚染されていないだろうか?
例えば、5分間、意味不明の言葉を叫びっぱなしの番組があったとしても、良いのではないか?
既存のものに捕われないスタイルを、
僕は追求していきたいと思っている。
それが、ポッドキャストの醍醐味であると感じるからだ。
映像編集についての本やサンプルなどを読んだり見たりしている。
中には実例に基づいた編集方法なども提示されているものもある。
インタビュー番組、自主制作映画、ミュージッククリップ、CMなど、シーンに応じたそれぞれのやり方が解説されているものだ。
色々と興味深く学ぶうちに、ふと気づいたのは、
「僕のやりたいものは、これらサンプルの中のどれでもない」ということだった。
ビデオポッドキャスト・ビデオブログを製作するにおいて必要な技術は、それほど多くないと思う。
そして、時に、映像編集の基本的なスタイルとは全く別次元の、考え方やスタンスが必要とされるように思うのだ。
短い放送時間、最終的に作品はWeb上で公開されるという前提、そして、インパクト重視の作品を好むユーザー層。
例えば、
まるで音声編集のように、同じカットの映像一本のみを、
必要最小限の部分だけをめまぐるしく数秒単位で切り刻んでつなげていくジェット☆ダイスケ氏の手法『ジェットカット』などは、どこの映像編集本にも載っていない、ビデオブログならではの手法だ。
既に形式が決まっている手法・映像を作り出したところで、既存メディア達が制作するそれには到底勝てないし、面白みに欠ける。
ブログやポッドキャストという新しい文化だからこそ、
既存メディアにはない、新しい手法・映像を生み出せたらと思う。
当然、これは音声ポッドキャストの世界にも当てはまる。
オープニングにジングルは必要か?
必ずトークラジオ形式にする必要はあるか?
ラジオドラマにしなければならない必要性は?
声が特徴的である必要はあるか?
アーティストの曲をあなたが紹介する必要性は?
『番組へのお便り紹介』は必ずしも必要か?
そもそも、MCが生身の人間の声である必要はあるか?
知らず知らずのうちに、既存音声メディア達によって形成された固定概念の数々に、あなたは汚染されていないだろうか?
例えば、5分間、意味不明の言葉を叫びっぱなしの番組があったとしても、良いのではないか?
既存のものに捕われないスタイルを、
僕は追求していきたいと思っている。
それが、ポッドキャストの醍醐味であると感じるからだ。
2008年03月08日
これからpodcastを始めようとする人へのアドバイス
2008年1月に行われたpodcastイベント「kpm#15」に出させていただいたときに、時間等の都合上詳しく話すことが出来なかった、「これからpodcastを始めようとする人へのアドバイス」を簡単に述べておこうと思う。
ポッドキャスト制作について興味を持った方は、是非とも参考にしていただきたい。
・【何かとお金がかかることを留意しておく】
ポッドキャストを始めようとする多くの人々にとって、「録音/録画機材」や「編集ソフト」などを予め所有している場合は少ないと思う。
それらを新たに導入する際の予算、また、各種ポッドキャスト・イベント参加への交通費・交際費など、金銭面での負担は決して軽視できるものではないことを留意する必要がある。
なお、いくらマイナスをかさねてもプラスは皆無である。
・【どんな人に聞いてもらいたいのか?を考える】
どのような受信者の方々をターゲットにするのか?を明確にするのが最優先事項だ。
全く知らない人に向けて発信したいのか、それとも、既に知り合いになっている人や、同じポッドキャストという趣味を通じて知り合うであろう仲間に向けて発信したいのか。
「誰でもいいから、聞いてくれる人がいればいい」。
こういったスタンスは非常に思いつきやすく、一見、表現の自由を謳歌しているスタンダードなスタンスであるように感じられるが、メイン・ターゲットがぼかされているゆえ、受信者の方々としても、「どう聞いていいのか分からない」内容の番組になってしまうことが多い。
発信者によるターゲット設定がなされていない番組は、そのまま受信者の方々を困惑させる結果となり、いつまで経っても受信者数が流動的な番組になってしまい、最終的に、発信者自身のモチベーション低下につながってしまう。
また、全く知らない人に向けて発信したいのであれば、知り合いには一切宣伝しないぐらいの覚悟で挑んだほうが、発信者として望む結果を得やすいだろう。
・【目標を明確にする】
番組を制作するにあたって、自己満足に終始したいのか、ランキング上位を狙いたいのか、または身内への伝言板として使いたいのか、あるいはプロのラジオ・パーソナリティや表現者になりたいのか…などの目標をしっかりと定めておくことが大事だ。
目標が定まらないまま勢いで番組を初めてしまった場合の多くが、そのまま勢いで終わってしまう結果を招いている。
「とりあえず始めれば、何かいいことがあるかも…?!」といった、漠然とした目標に応えられるほど、現在のポッドキャスト界は夢のある世界ではない。
あなたがもしもプロのラジオ・パーソナリティを目指したいのならば、ポッドキャスト番組などを制作するよりも、ラジオ局に履歴書を持ち込んだほうが、数十倍も得策だ。
ポッドキャスト制作について興味を持った方は、是非とも参考にしていただきたい。
・【何かとお金がかかることを留意しておく】
ポッドキャストを始めようとする多くの人々にとって、「録音/録画機材」や「編集ソフト」などを予め所有している場合は少ないと思う。
それらを新たに導入する際の予算、また、各種ポッドキャスト・イベント参加への交通費・交際費など、金銭面での負担は決して軽視できるものではないことを留意する必要がある。
なお、いくらマイナスをかさねてもプラスは皆無である。
・【どんな人に聞いてもらいたいのか?を考える】
どのような受信者の方々をターゲットにするのか?を明確にするのが最優先事項だ。
全く知らない人に向けて発信したいのか、それとも、既に知り合いになっている人や、同じポッドキャストという趣味を通じて知り合うであろう仲間に向けて発信したいのか。
「誰でもいいから、聞いてくれる人がいればいい」。
こういったスタンスは非常に思いつきやすく、一見、表現の自由を謳歌しているスタンダードなスタンスであるように感じられるが、メイン・ターゲットがぼかされているゆえ、受信者の方々としても、「どう聞いていいのか分からない」内容の番組になってしまうことが多い。
発信者によるターゲット設定がなされていない番組は、そのまま受信者の方々を困惑させる結果となり、いつまで経っても受信者数が流動的な番組になってしまい、最終的に、発信者自身のモチベーション低下につながってしまう。
また、全く知らない人に向けて発信したいのであれば、知り合いには一切宣伝しないぐらいの覚悟で挑んだほうが、発信者として望む結果を得やすいだろう。
・【目標を明確にする】
番組を制作するにあたって、自己満足に終始したいのか、ランキング上位を狙いたいのか、または身内への伝言板として使いたいのか、あるいはプロのラジオ・パーソナリティや表現者になりたいのか…などの目標をしっかりと定めておくことが大事だ。
目標が定まらないまま勢いで番組を初めてしまった場合の多くが、そのまま勢いで終わってしまう結果を招いている。
「とりあえず始めれば、何かいいことがあるかも…?!」といった、漠然とした目標に応えられるほど、現在のポッドキャスト界は夢のある世界ではない。
あなたがもしもプロのラジオ・パーソナリティを目指したいのならば、ポッドキャスト番組などを制作するよりも、ラジオ局に履歴書を持ち込んだほうが、数十倍も得策だ。
2008年02月21日
好きなゲームがあるからそのハードを買う
どうしても遊んでみたい家庭用のゲームソフトがあったとする。
あなたはまず、そのゲームソフトが、どのハードウェアで動くのかを調べるだろう。
もしそのハードウェアが、現在自分が所有していないものだったら、あなたはどうするだろうか。
ハードウェアが無いからという理由で、そのゲームソフトをあきらめるだろうか。
それとも、そのゲームソフトのためだけにハードウェアを購入し、取扱説明書を読み、そのハードウェアを使いこなすだろうか。
ユーザーが常に求めているのは、ゲームソフトという「中身」だ。
中身が面白いものでさえあれば、例え、使いこなすのが難しいハードウェアでも、ユーザーは軽く障壁を乗り越えることができる。
そのゲームがしたいから、それに合ったハードウェアを使う。
あくまでソフトウェアという中身ありきの世界であるのは、
どんな世界でも同じであるように思う。
とりあえずハードウェアを揃えてからソフトウェアを探す…という、
悪い意味でオタク的な人間であったり、また、
好きなソフトウェアから入ったはずが、
なんとなく駄作ソフトを数多く揃えてしまって、
結局、何が面白いと感じていたのか分からなくなってしまう…といった人も、一部存在するだろう。
だがそれは、世間一般的な観点からすれば、ごく少数の人間だ。
多くの人間は、面白いか面白くないか、
それだけをモチベーションに、コンテンツに集まってくる。
Podcastについても、当然同じことがいえる。
仕組みやテクノロジーに論議を尽くすのは、一部のオタク的人間に任せておけばいい。
配信者として第一に考えなければならないのは、
いかにユーザーを惹き付ける充実した中身を作れるか?ということだ。
あなたはまず、そのゲームソフトが、どのハードウェアで動くのかを調べるだろう。
もしそのハードウェアが、現在自分が所有していないものだったら、あなたはどうするだろうか。
ハードウェアが無いからという理由で、そのゲームソフトをあきらめるだろうか。
それとも、そのゲームソフトのためだけにハードウェアを購入し、取扱説明書を読み、そのハードウェアを使いこなすだろうか。
ユーザーが常に求めているのは、ゲームソフトという「中身」だ。
中身が面白いものでさえあれば、例え、使いこなすのが難しいハードウェアでも、ユーザーは軽く障壁を乗り越えることができる。
そのゲームがしたいから、それに合ったハードウェアを使う。
あくまでソフトウェアという中身ありきの世界であるのは、
どんな世界でも同じであるように思う。
とりあえずハードウェアを揃えてからソフトウェアを探す…という、
悪い意味でオタク的な人間であったり、また、
好きなソフトウェアから入ったはずが、
なんとなく駄作ソフトを数多く揃えてしまって、
結局、何が面白いと感じていたのか分からなくなってしまう…といった人も、一部存在するだろう。
だがそれは、世間一般的な観点からすれば、ごく少数の人間だ。
多くの人間は、面白いか面白くないか、
それだけをモチベーションに、コンテンツに集まってくる。
Podcastについても、当然同じことがいえる。
仕組みやテクノロジーに論議を尽くすのは、一部のオタク的人間に任せておけばいい。
配信者として第一に考えなければならないのは、
いかにユーザーを惹き付ける充実した中身を作れるか?ということだ。
2008年02月19日
アメリカ的
AV Watchのコラム内の、
動画編集ソフト「Premiere Elements 4」のレビュー記事を読んでいて、
ふと気づいたことがある。
動画を編集し、簡単にYouTubeやiPod用に変換できる、
ビデオブロガーやビデオポッドキャスターには非常に便利な同ソフトだが、記事内では「日米のメンタリティ・ニーズのズレ」と指摘され、その機能・需要が疑問視されている。
日本人が、プライベートなコンテンツを、
YouTubeにアップロードしたりiPod用に変換して持ち歩くか?という疑問だ。
言われてみれば確かにその通りで、
「個人がメディアになる」概念が全くといっていいほど浸透していない、あるいは浸透しにくい日本の現状において、同ソフトの機能は全く不可解な、「舶来の作法」にしか見えないのは、無理もないことだといえる。
また、動画という分野の捉え方も、
日本と米国におけるそれでは大きく異なっているように思う。
明らかな著作権違反動画や二次著作物の繁栄、
そしてその裏で蔓延る、
個人の肖像権やプライバシーに対する過保護概念。
これが日本の動画事情だと思う。
「個人がブロードキャストする」という概念は、
現在の日本では今のところ、拡大していく余地がない。
音声ポッドキャストについても当然、同じ事がいえるだろう。
あなたの番組は、
「アメリカ的」アプローチが出来ているだろうか?
また、欧米的概念を取り入れたものになっているだろうか?
それとも、
日本の土壌に合った、いつまで経っても「ズレ」たままの、
日本的アプローチをもった番組だろうか?
そんな事を考えながら番組を制作するのも、一興かもしれない。
動画編集ソフト「Premiere Elements 4」のレビュー記事を読んでいて、
ふと気づいたことがある。
動画を編集し、簡単にYouTubeやiPod用に変換できる、
ビデオブロガーやビデオポッドキャスターには非常に便利な同ソフトだが、記事内では「日米のメンタリティ・ニーズのズレ」と指摘され、その機能・需要が疑問視されている。
日本人が、プライベートなコンテンツを、
YouTubeにアップロードしたりiPod用に変換して持ち歩くか?という疑問だ。
言われてみれば確かにその通りで、
「個人がメディアになる」概念が全くといっていいほど浸透していない、あるいは浸透しにくい日本の現状において、同ソフトの機能は全く不可解な、「舶来の作法」にしか見えないのは、無理もないことだといえる。
また、動画という分野の捉え方も、
日本と米国におけるそれでは大きく異なっているように思う。
明らかな著作権違反動画や二次著作物の繁栄、
そしてその裏で蔓延る、
個人の肖像権やプライバシーに対する過保護概念。
これが日本の動画事情だと思う。
「個人がブロードキャストする」という概念は、
現在の日本では今のところ、拡大していく余地がない。
音声ポッドキャストについても当然、同じ事がいえるだろう。
あなたの番組は、
「アメリカ的」アプローチが出来ているだろうか?
また、欧米的概念を取り入れたものになっているだろうか?
それとも、
日本の土壌に合った、いつまで経っても「ズレ」たままの、
日本的アプローチをもった番組だろうか?
そんな事を考えながら番組を制作するのも、一興かもしれない。
2008年01月11日
『ひげちんエモーション』の威力
ひげフレディー氏の番組「Fredio」で、
2008年新春企画として放送された、
「〈2008 新春放談〉ひげちんエモーション」を聞いて、鳥肌が立った。
ホスト役であるひげフレディー氏を介し、Bonchicast.のちん氏とヒロカズエモーション氏がタイトル通り自由気ままに談笑しているのだが、とにかく放送から漂う全体の雰囲気が、まるごとエンターテインメントとして成り立つ威力をもっている。
話し口調だけで感じる、大物のオーラ。
水面下の人間関係を感じさせる、行間からにじみ出る両者のせめぎ合い。
両者をうまく誘導させ、決して出しゃばることなく進行させるホスト役。
全体をとりまく、あくまで外に向けられたことを意識しての、エンターテインメント精神溢れる雰囲気。
お三方をすでに番組等で知っているというのが前提になるにせよ、この鼎談ファイルは、爆発寸前のギリギリのバランスで形成された、そんな魅力/威力をもっていると感じた。
自分がポッドキャストを始めたばかりの2年前に、憧れのポッドキャスト番組を心弾ませながら聞いていたときの感情がよみがえり、同時に、自身のポッドキャスト配信についてのモチベーションが一気に充電されたのが分かった。
「こんな大物になりたい」。
僕にとってのポッドキャスト配信についてのモチベーションは、一見自由で平和的な雰囲気だが、実は、皆が戒律的な思想に捕われ足並み揃えて行進する極めて排他的な軍隊のような、そんな集団に混ざることによっては満たされない。
しかるべき魅力・権力をもった憧れの対象をもち、
「いつか俺もこの対象に入れてもらえるようになってやる」、
そんな野心を燃やすことによってのみ、モチベーションが満たされることを思い出した。
もしあなたが配信者なら、横を見るより、上を見よう。
階層間の移動を試みなければ、シーンの明日は見えてこない。
最後に、この鼎談ファイルのうち、特におすすめする放送を紹介させていただきたい。
■〈2008 新春放談〉ひげちんエモーション1(9分33秒)
http://fredio.seesaa.net/article/76901190.html
「他のメディア」を見聞きするかというテーマについて、そして、ポッドキャスト界において「重鎮」と呼ばれることについて、ちん氏とヒロカズエモーション氏の両者の強かなバトルが垣間みれる。
そこはかとなく仕組まれた、攻撃性を帯びる言葉一つ一つが面白すぎる。
相手の話を引き出しつつ会話を展開させていく能力をもったお三方が、互いに複雑に絡み合うシーンは圧巻。
■〈2008 新春放談〉ひげちんエモーション4(12分21秒)
http://fredio.seesaa.net/article/77178460.html
ちん氏とヒロカズエモーション氏の両者が、互いにその印象を語り合う。初対面のときのエピソードなども聞くことができる。
後半では、配信者として「モテているか?」の問いが飛び出し、それについて、ちん氏による、かなり興味深いエピソードが登場する。
2008年新春企画として放送された、
「〈2008 新春放談〉ひげちんエモーション」を聞いて、鳥肌が立った。
ホスト役であるひげフレディー氏を介し、Bonchicast.のちん氏とヒロカズエモーション氏がタイトル通り自由気ままに談笑しているのだが、とにかく放送から漂う全体の雰囲気が、まるごとエンターテインメントとして成り立つ威力をもっている。
話し口調だけで感じる、大物のオーラ。
水面下の人間関係を感じさせる、行間からにじみ出る両者のせめぎ合い。
両者をうまく誘導させ、決して出しゃばることなく進行させるホスト役。
全体をとりまく、あくまで外に向けられたことを意識しての、エンターテインメント精神溢れる雰囲気。
お三方をすでに番組等で知っているというのが前提になるにせよ、この鼎談ファイルは、爆発寸前のギリギリのバランスで形成された、そんな魅力/威力をもっていると感じた。
自分がポッドキャストを始めたばかりの2年前に、憧れのポッドキャスト番組を心弾ませながら聞いていたときの感情がよみがえり、同時に、自身のポッドキャスト配信についてのモチベーションが一気に充電されたのが分かった。
「こんな大物になりたい」。
僕にとってのポッドキャスト配信についてのモチベーションは、一見自由で平和的な雰囲気だが、実は、皆が戒律的な思想に捕われ足並み揃えて行進する極めて排他的な軍隊のような、そんな集団に混ざることによっては満たされない。
しかるべき魅力・権力をもった憧れの対象をもち、
「いつか俺もこの対象に入れてもらえるようになってやる」、
そんな野心を燃やすことによってのみ、モチベーションが満たされることを思い出した。
もしあなたが配信者なら、横を見るより、上を見よう。
階層間の移動を試みなければ、シーンの明日は見えてこない。
最後に、この鼎談ファイルのうち、特におすすめする放送を紹介させていただきたい。
■〈2008 新春放談〉ひげちんエモーション1(9分33秒)
http://fredio.seesaa.net/article/76901190.html
「他のメディア」を見聞きするかというテーマについて、そして、ポッドキャスト界において「重鎮」と呼ばれることについて、ちん氏とヒロカズエモーション氏の両者の強かなバトルが垣間みれる。
そこはかとなく仕組まれた、攻撃性を帯びる言葉一つ一つが面白すぎる。
相手の話を引き出しつつ会話を展開させていく能力をもったお三方が、互いに複雑に絡み合うシーンは圧巻。
■〈2008 新春放談〉ひげちんエモーション4(12分21秒)
http://fredio.seesaa.net/article/77178460.html
ちん氏とヒロカズエモーション氏の両者が、互いにその印象を語り合う。初対面のときのエピソードなども聞くことができる。
後半では、配信者として「モテているか?」の問いが飛び出し、それについて、ちん氏による、かなり興味深いエピソードが登場する。
2008年01月05日
自分は何も成長していない
受信者の方々から暖かい声援をいただき、また、
同じ配信者たちから様々な言葉をかけられ続ける毎日を送っていると、
ときに、自らの不手際によって、自分のスタンスや位置が正確に把握できなくなってしまう。
与えられた情報を整理し、参考にするべき意見を取り入れ、あくまで客観的にそれらを捉え、分析する力を備えていないと、せっかくの声援やアドバイスを、無駄にしてしまうことになる。
放っておいても加速度的に伸び続ける、延べ「登録者数」。
単に過去ログが増えているというだけの「キャリア」。
時が経つにつれ自動的に誕生し続ける新規参入者によりそこはかとなく形成される、極めて陳腐な相対的評価。
これらの情報は、今、自分が配信しようとしている内容、つまり、現在の自分が発揮できているスタンスとは、全くといっていいほど関連性がない。
そして、最終的に重要視する項目ではない。
最終的に、というのは、それらは、宣伝効果のあらわれとして、自分を広く知ってもらい、認めてもらった証にはなるかも知れないが、それだけでは己の進化の糧にはならない、という意味だ。
自分の行っている活動の格を一切上げることなく、そのままのスタンスを維持し、じわじわとその認知度だけを広めていくという行為は、もう、今の僕には極めて無意味なことだと考える。
大切なのは、成長し、進化し、何を配信し、何を表現できるかだと考える。
一年前に製作したファイルと、今製作するファイルの質が、自分の中の基準で「同じ」と判断できるなら、それは、自分が一切成長していないという証拠だ。
現在の素人podcastという分野において最も渇望されているのは、早急なキラー・コンテンツの増加だ。
キラー・コンテンツの増加がなされないままシーンが進めば、それは一般的な「趣味」のジャンルにすら届かない、今よりもっとアンダーグラウンド化した、泣かず飛ばすの運動に終わり、やがて消滅するだろう。
今の自分に必要なのは、今の自分を見つめるということ、ただそれだけだ。
USE MY BRAIN.
FEEL MY HEART.
半月ほど前、とある場所での、とある名も無き方の書き込みから、それを気づかされた。
同じ配信者たちから様々な言葉をかけられ続ける毎日を送っていると、
ときに、自らの不手際によって、自分のスタンスや位置が正確に把握できなくなってしまう。
与えられた情報を整理し、参考にするべき意見を取り入れ、あくまで客観的にそれらを捉え、分析する力を備えていないと、せっかくの声援やアドバイスを、無駄にしてしまうことになる。
放っておいても加速度的に伸び続ける、延べ「登録者数」。
単に過去ログが増えているというだけの「キャリア」。
時が経つにつれ自動的に誕生し続ける新規参入者によりそこはかとなく形成される、極めて陳腐な相対的評価。
これらの情報は、今、自分が配信しようとしている内容、つまり、現在の自分が発揮できているスタンスとは、全くといっていいほど関連性がない。
そして、最終的に重要視する項目ではない。
最終的に、というのは、それらは、宣伝効果のあらわれとして、自分を広く知ってもらい、認めてもらった証にはなるかも知れないが、それだけでは己の進化の糧にはならない、という意味だ。
自分の行っている活動の格を一切上げることなく、そのままのスタンスを維持し、じわじわとその認知度だけを広めていくという行為は、もう、今の僕には極めて無意味なことだと考える。
大切なのは、成長し、進化し、何を配信し、何を表現できるかだと考える。
一年前に製作したファイルと、今製作するファイルの質が、自分の中の基準で「同じ」と判断できるなら、それは、自分が一切成長していないという証拠だ。
現在の素人podcastという分野において最も渇望されているのは、早急なキラー・コンテンツの増加だ。
キラー・コンテンツの増加がなされないままシーンが進めば、それは一般的な「趣味」のジャンルにすら届かない、今よりもっとアンダーグラウンド化した、泣かず飛ばすの運動に終わり、やがて消滅するだろう。
今の自分に必要なのは、今の自分を見つめるということ、ただそれだけだ。
USE MY BRAIN.
FEEL MY HEART.
半月ほど前、とある場所での、とある名も無き方の書き込みから、それを気づかされた。
2007年12月12日
ポッドキャスト格差社会
Podcast Summit #4が無事終了した。
大成功といえる結果となり、僕も、
様々な内部事情を知った上で、非常に満足できる内容だったと思う。
関係者の皆様、何より、今回全ての準備・演出をしてくださった
くま様に、深くお礼を申し上げたい。
ところで、Podcast Summitといえば、
以前、1年半前に開催されたPodcast Summit #1について、イベントの雰囲気・ひいてはポッドキャストの世界の雰囲気全般に関して、とある有名な方から感想を伺ったことがある。
それは、
「Podcast Summit #1は、例えるなら、バブルだった。」
というものだった。
Podcastという言葉があるだけで気分が盛り上がり、人が集まり、
そして、内容の如何にかかわらず、配信するという行為の斬新さだけに
皆が心を奪われ、なんとなく大勢の人々が、同じ気分で浮かれていた時代。
そして、その波の一番大きい最中に開催されたイベント、Podcast Summit #1。
そんな状態を、「バブル」と例えたのだろう。
2007現在、ポッドキャストといえば、
「プロが利用する宣伝ツール、および、既存メディアで放送しているものをサイバースペース用にアレンジしたもの」というイメージが植え付けれられつつある。
前述の「バブル」は、崩壊したといっていい。
バブル崩壊後の日本経済を待っていたものは、
「格差社会」だった。
ポッドキャスト格差社会。
大勢のファンを抱え込み、一人勝ち状態の配信者。
少人数ながら、リアルでの出会いを大切にして、地道に活動している配信者。
未だバブルの夢が抜けきれず、新興宗教ポッドキャスト教に入会し続けている配信者。
置かれている状況・心構えが全くことなる階層に分裂した配信者それぞれが、自分達の立場を必死に守ろうとし、他の階層の活動を全く認めず、また、階層間の移動を全く試みようとしない現象。
関連性のないゲストが多数出演し、あらゆる内容がつめこまれ、瞬く間に終了したPodcast Summit #4は、そんな「ポッドキャスト格差社会」の到来を、偶然にも象徴しているイベントだったのかも知れない。
大成功といえる結果となり、僕も、
様々な内部事情を知った上で、非常に満足できる内容だったと思う。
関係者の皆様、何より、今回全ての準備・演出をしてくださった
くま様に、深くお礼を申し上げたい。
ところで、Podcast Summitといえば、
以前、1年半前に開催されたPodcast Summit #1について、イベントの雰囲気・ひいてはポッドキャストの世界の雰囲気全般に関して、とある有名な方から感想を伺ったことがある。
それは、
「Podcast Summit #1は、例えるなら、バブルだった。」
というものだった。
Podcastという言葉があるだけで気分が盛り上がり、人が集まり、
そして、内容の如何にかかわらず、配信するという行為の斬新さだけに
皆が心を奪われ、なんとなく大勢の人々が、同じ気分で浮かれていた時代。
そして、その波の一番大きい最中に開催されたイベント、Podcast Summit #1。
そんな状態を、「バブル」と例えたのだろう。
2007現在、ポッドキャストといえば、
「プロが利用する宣伝ツール、および、既存メディアで放送しているものをサイバースペース用にアレンジしたもの」というイメージが植え付けれられつつある。
前述の「バブル」は、崩壊したといっていい。
バブル崩壊後の日本経済を待っていたものは、
「格差社会」だった。
ポッドキャスト格差社会。
大勢のファンを抱え込み、一人勝ち状態の配信者。
少人数ながら、リアルでの出会いを大切にして、地道に活動している配信者。
未だバブルの夢が抜けきれず、新興宗教ポッドキャスト教に入会し続けている配信者。
置かれている状況・心構えが全くことなる階層に分裂した配信者それぞれが、自分達の立場を必死に守ろうとし、他の階層の活動を全く認めず、また、階層間の移動を全く試みようとしない現象。
関連性のないゲストが多数出演し、あらゆる内容がつめこまれ、瞬く間に終了したPodcast Summit #4は、そんな「ポッドキャスト格差社会」の到来を、偶然にも象徴しているイベントだったのかも知れない。
2007年12月03日
Podcast Summit #4、開催
2007年12月9日(日)、Apple Store 銀座でPodcast Summit #4が開催される。
今回も僕は参加するが、出演者でもスタッフでもない。
純粋に、イベントを楽しんでこようと思う。
前回、ディレクターとして参加させていただいたときに、僕はこんな文章を書いた。
>来ていただいた受信者の方々に、
>「なんかよくわからないけど、面白かった」と言ってもらえるような、
>そんなイベントを目指す。
>
>個人から発信できる媒体、ポッドキャスト。
>その威力を、魅力を、最大限に提示できるようなイベントにしたいと思っている。
今回のPodcast Summit #4の告知文は、公式ブログによれば、
まさにこのスタンスを踏襲するかのようなコンセプトを掲げている。
>>今回のSummit#4は・・・ ポッドキャストはいろいろあれど、
>>今、個人が運営するポッドキャスト番組が熱い!
>>音声のポッドキャストだけでなく、ビデオのポッドキャストもご紹介します。
>>また、公開録音のセクションもあり、ポッドキャストの魅力が満載です。
>>参加費はもちろん無料。
>>ポッドキャストを配信している人だけではなく、
>>聞いているリスナーの皆さんにこそ、ぜひ会場に足を運んでいただきたいのです。
>>ポッドキャスターとリスナーの輪を拡げていきましょう。
(Podcast Summit #4 コンセプトより抜粋)
Podcast Summit #3開催後の半年で、ポッドキャストの世界は少し変革したように思う。
PODCASTリスナーの会の発足に代表される、
受信者の方々が中心となった、理想の世界が築かれつつある。
ポッドキャストのイベントで交わされる会話は、
「どんな番組配信してます?」から
「どんな番組を聞いてます?」へ。
受信者の方々が配信者達と比べ肩身の狭い思いをする、という間違った現象・認識が消滅しつつあるように思う。
これは非常に喜ばしいことだ。
今回のイベントがどのようなものになるかは分からないが、
コンセプトを拝見するに、この流れを考慮してのことなのだろう。
イベント開催後、再びシーンはどのような変貌をとげるのか。
今から非常に楽しみだ。
ちなみに、今回のPodcast Summit #4については、
くま様がかなり精力的にスタッフとして活躍しておられるようだ。
Podiumサイトの強化、そこでの音声でのしっかりとした案内、閉鎖空間であるmixiの上手な活用など、おそらく史上最もスマートな貢献をなされているように感じる。
どの世界にもいえることだが、
一番重要なのは、能力をもった適任者が力を発揮するということだ。
提案するだけで何もしようとしない人間や、能力もないのに、ただがむしゃらに動こうとするだけの人間達に惑わされることなく、是非とも頑張っていただきたい。
今回も僕は参加するが、出演者でもスタッフでもない。
純粋に、イベントを楽しんでこようと思う。
前回、ディレクターとして参加させていただいたときに、僕はこんな文章を書いた。
>来ていただいた受信者の方々に、
>「なんかよくわからないけど、面白かった」と言ってもらえるような、
>そんなイベントを目指す。
>
>個人から発信できる媒体、ポッドキャスト。
>その威力を、魅力を、最大限に提示できるようなイベントにしたいと思っている。
今回のPodcast Summit #4の告知文は、公式ブログによれば、
まさにこのスタンスを踏襲するかのようなコンセプトを掲げている。
>>今回のSummit#4は・・・ ポッドキャストはいろいろあれど、
>>今、個人が運営するポッドキャスト番組が熱い!
>>音声のポッドキャストだけでなく、ビデオのポッドキャストもご紹介します。
>>また、公開録音のセクションもあり、ポッドキャストの魅力が満載です。
>>参加費はもちろん無料。
>>ポッドキャストを配信している人だけではなく、
>>聞いているリスナーの皆さんにこそ、ぜひ会場に足を運んでいただきたいのです。
>>ポッドキャスターとリスナーの輪を拡げていきましょう。
(Podcast Summit #4 コンセプトより抜粋)
Podcast Summit #3開催後の半年で、ポッドキャストの世界は少し変革したように思う。
PODCASTリスナーの会の発足に代表される、
受信者の方々が中心となった、理想の世界が築かれつつある。
ポッドキャストのイベントで交わされる会話は、
「どんな番組配信してます?」から
「どんな番組を聞いてます?」へ。
受信者の方々が配信者達と比べ肩身の狭い思いをする、という間違った現象・認識が消滅しつつあるように思う。
これは非常に喜ばしいことだ。
今回のイベントがどのようなものになるかは分からないが、
コンセプトを拝見するに、この流れを考慮してのことなのだろう。
イベント開催後、再びシーンはどのような変貌をとげるのか。
今から非常に楽しみだ。
ちなみに、今回のPodcast Summit #4については、
くま様がかなり精力的にスタッフとして活躍しておられるようだ。
Podiumサイトの強化、そこでの音声でのしっかりとした案内、閉鎖空間であるmixiの上手な活用など、おそらく史上最もスマートな貢献をなされているように感じる。
どの世界にもいえることだが、
一番重要なのは、能力をもった適任者が力を発揮するということだ。
提案するだけで何もしようとしない人間や、能力もないのに、ただがむしゃらに動こうとするだけの人間達に惑わされることなく、是非とも頑張っていただきたい。
2007年11月29日
ポッドキャストをクリエイトする
僕がポッドキャスト番組をつくる上において常に心がけている点は、「ポッドキャストをクリエイトする」という心構えだ。
製作方法だけをなぞれば、多くの場合、自分の音声をマイクで録音してBGMやジングルの上に重ね、それっぽい仕上がりにしたあとに、圧縮ファイルにしてサーバーにアップするという流れになる。
これだけでポッドキャスト番組は製作できることになるが、ここからさらにステップアップしたい場合、作品としての磨きをかけたい場合に必要になるのが、「クリエイトする」という概念だと思う。
僕の尊敬するヒロカズエモーション氏とアサカワズ氏のポッドキャスト番組、また、他にも、僕がRSSを登録して普段聞いている番組には、常にこの「クリエイトする」という概念が感じられるものが多い。
番組の主旨、ポリシー、方向性。
それに基づいたパーソナリティーのキャラクター、音質、構成。
緻密に計算された、あるいは、全くのランダム要素を含んだ展開。
MCを担当している方々自身の魅力が輝いているのはもちろんのことだが、最終的に番組として出来上がった圧縮ファイル、つまり、エンドユーザーに届くデジタルデータとなったときに、初めてその効力を最大限に発揮する…。
そんなシステムを構築することが、「クリエイトする」という概念だと僕は考える。
音声を編集する技術力や、あるいは、MC自身の人柄・魅力だけでは、この「クリエイトする」という行為は難しいだろう。そもそも、それだけをウリにしていては、既存メディアと何も変わらない。つまり、ポッドキャスト番組である意味がなくなってしまう。
『ポッドキャスト番組にしか出来ないクオリティを構築する』ということ。
「クリエイトする」ということは、言い換えればそういうことになるだろう。
シーンを向上させ、認知度を広める上においても、そういった、クリエイトされた番組の増加が最重要課題であると僕は思う。
ポッドキャストをクリエイトするということ。
一度、それを念頭において、番組を製作してみてはどうだろうか。
僕たちは、ラジオのパーソナリティーでも、売れないお笑い芸人でもない。
音楽家でもないし、サイバースペース上に散在するジャンクな無名の職人でもない。
「ポッドキャスター」なのだから。
製作方法だけをなぞれば、多くの場合、自分の音声をマイクで録音してBGMやジングルの上に重ね、それっぽい仕上がりにしたあとに、圧縮ファイルにしてサーバーにアップするという流れになる。
これだけでポッドキャスト番組は製作できることになるが、ここからさらにステップアップしたい場合、作品としての磨きをかけたい場合に必要になるのが、「クリエイトする」という概念だと思う。
僕の尊敬するヒロカズエモーション氏とアサカワズ氏のポッドキャスト番組、また、他にも、僕がRSSを登録して普段聞いている番組には、常にこの「クリエイトする」という概念が感じられるものが多い。
番組の主旨、ポリシー、方向性。
それに基づいたパーソナリティーのキャラクター、音質、構成。
緻密に計算された、あるいは、全くのランダム要素を含んだ展開。
MCを担当している方々自身の魅力が輝いているのはもちろんのことだが、最終的に番組として出来上がった圧縮ファイル、つまり、エンドユーザーに届くデジタルデータとなったときに、初めてその効力を最大限に発揮する…。
そんなシステムを構築することが、「クリエイトする」という概念だと僕は考える。
音声を編集する技術力や、あるいは、MC自身の人柄・魅力だけでは、この「クリエイトする」という行為は難しいだろう。そもそも、それだけをウリにしていては、既存メディアと何も変わらない。つまり、ポッドキャスト番組である意味がなくなってしまう。
『ポッドキャスト番組にしか出来ないクオリティを構築する』ということ。
「クリエイトする」ということは、言い換えればそういうことになるだろう。
シーンを向上させ、認知度を広める上においても、そういった、クリエイトされた番組の増加が最重要課題であると僕は思う。
ポッドキャストをクリエイトするということ。
一度、それを念頭において、番組を製作してみてはどうだろうか。
僕たちは、ラジオのパーソナリティーでも、売れないお笑い芸人でもない。
音楽家でもないし、サイバースペース上に散在するジャンクな無名の職人でもない。
「ポッドキャスター」なのだから。
2007年11月26日
Reset your counter
番組を長く続けていると、様々な現象を体感し、経験する。
それは、番組製作における障壁であったり悩みといった、そんなマイナス方面での経験から、アクセス数やダウンロード数、「登録者数」の増加、そして、同じ嗜好をもつ配信者との出会いといったプラス方面での経験まで、多様だ。
とかく未成熟で閉塞感の漂うこのポッドキャストの世界では、「大物」「有名」「カリスマ」などの言葉が濫用される傾向にある。
どの配信者がそれらに属し、どの配信者がそれらに属さないのか、その明確な線引きがなされないまま、あるいは、見る人によっては簡単に逆転が可能な観点を残したまま、漠然とした上下関係が築かれているように感じる。
配信者達にとって、その基準の一つの目安となるのが、冒頭に述べた「経験」の数値、つまり「経験値」だ。
番組を長く続けている。
番組を数多く製作している。
ある程度の、アクセス・カウンター等の「数値」を所有している。
多くの配信者仲間達に恵まれている。
半ば自動的に、そして加速度的に増え続けるこれらの経験値は、挫折することさえなければ、大小の差はあれど、どんな配信者にも必ず与えられるものだ。
この「経験値」だけを妄信して自身のプライドを満たしたり自分の位置を見定めることは、極めて危険だと僕は思う。
なぜなら、
受信者の方々には、配信者達の勝手な設定値である「経験値」など、一切通用しないからだ。
現在の僕にも少しばかり、その「経験値」が与えられ、そして、その経験値に基づいた位置が与えられているように感じるが、今、例えこの「経験値」がゼロに戻ったとしても、僕の自負心は保たれたままだろう。
それは、僕にとって最も重要なことが、「常に受信者の方々の立場に立って、受信者の方々に楽しんでいただけるような番組づくりをする」という心構えであり、その心構えは、「経験値」とは何ら関係のないことだからだ。
さて、あなたはどうだろうか。
Reset your counter.
配信者としての経験値、つまり心のアクセス・カウンターをもう一度ゼロに戻し、ゆっくりと、自分の番組、そして自分の位置について考えてみるのも、一興ではないだろうか。
あなたが躍起になって振りかざしているその経験値や自負心は、実は、iPodのヘッドホンのその向こうでは、単なる嘲笑の的にしかなっていないのかも知れないのだから。
それは、番組製作における障壁であったり悩みといった、そんなマイナス方面での経験から、アクセス数やダウンロード数、「登録者数」の増加、そして、同じ嗜好をもつ配信者との出会いといったプラス方面での経験まで、多様だ。
とかく未成熟で閉塞感の漂うこのポッドキャストの世界では、「大物」「有名」「カリスマ」などの言葉が濫用される傾向にある。
どの配信者がそれらに属し、どの配信者がそれらに属さないのか、その明確な線引きがなされないまま、あるいは、見る人によっては簡単に逆転が可能な観点を残したまま、漠然とした上下関係が築かれているように感じる。
配信者達にとって、その基準の一つの目安となるのが、冒頭に述べた「経験」の数値、つまり「経験値」だ。
番組を長く続けている。
番組を数多く製作している。
ある程度の、アクセス・カウンター等の「数値」を所有している。
多くの配信者仲間達に恵まれている。
半ば自動的に、そして加速度的に増え続けるこれらの経験値は、挫折することさえなければ、大小の差はあれど、どんな配信者にも必ず与えられるものだ。
この「経験値」だけを妄信して自身のプライドを満たしたり自分の位置を見定めることは、極めて危険だと僕は思う。
なぜなら、
受信者の方々には、配信者達の勝手な設定値である「経験値」など、一切通用しないからだ。
現在の僕にも少しばかり、その「経験値」が与えられ、そして、その経験値に基づいた位置が与えられているように感じるが、今、例えこの「経験値」がゼロに戻ったとしても、僕の自負心は保たれたままだろう。
それは、僕にとって最も重要なことが、「常に受信者の方々の立場に立って、受信者の方々に楽しんでいただけるような番組づくりをする」という心構えであり、その心構えは、「経験値」とは何ら関係のないことだからだ。
さて、あなたはどうだろうか。
Reset your counter.
配信者としての経験値、つまり心のアクセス・カウンターをもう一度ゼロに戻し、ゆっくりと、自分の番組、そして自分の位置について考えてみるのも、一興ではないだろうか。
あなたが躍起になって振りかざしているその経験値や自負心は、実は、iPodのヘッドホンのその向こうでは、単なる嘲笑の的にしかなっていないのかも知れないのだから。
